日本画とは何か?
ーその答えの先に。弔い役としての日本画家ー

日本大学明誠高等学校研究紀要第32巻掲載

はじめに

1、日本画とは?

2、材質・素材からのアプローチ

3、属性からのアプローチ

4、歴史からのアプローチ

5、システムからのアプローチ

6、日本画とは?/結論

7、現在の日本画の問題点

8、今後の日本画の展望

9、私にとっての日本画

おわりに

<参考文献>

はじめに

 ここ二十年ほど、樹木や花などの植物を中心として描いてきました。桜、杉、棕櫚、松、向日葵、藤、椿、銀杏などなど。振り返ってみれば、植物を描くようになったのは、大学一年の最初の課題。百合を描き、芍薬を描き、その後、さまざまな題材を描きましたが、また植物に戻ってきて、今は樹木や花を描くことが、ライフワークと言っていいかと思います。(詳しくは、ホームページ「日本画家伊東正次の襖絵」/対談「たまたま3+1展を終えて」をご覧ください。)

それに比べて、紆余曲折のあったのが、日本画との関わりです。多摩美の日本画科に入って、まじめに日本画材を用いて描いていたのは最初の数枚だけでした。学部生の時には、砂浜から砂をとってきてそれを膠(にかわ)で溶いて画面にぶちまけたり、石膏や粘土を盛り上げたり、大学院の修了制作は透明な樹脂で葉っぱや木片を固めて画面に貼付けたりしました。これは正確に言うと、貼付けようとしたのですが、いつまでたっても樹脂が固まらず、貼付けたはずのそれらが全部落ちてしまったのです。修了制作の講評当日、自分の番が回ってきたので、それまで寝かしておいた画面を起こしたとたん、画面に載せてあったそれらの樹脂や葉っぱの塊がごっそり床にずり落ち、作品はほぼ壊滅状態。その上、床は乾いてない樹脂でどろどろに汚れ、シンナー系のすさまじい匂いの中、講評はさんざんだし、(作品の内容についての講評はほとんどなく、その惨状の非難と詫びで終わってしまった。)思い出すだけで憂鬱な修了制作の講評会でした。

それなのに、まだまだ懲りず、その後は枯れ草と粘土を和紙の上に貼付けたり、ガラスを割ってその破片を樹脂で画面に貼付けた作品の展覧会を行ったり、表面に油の溶き油を塗ったり、樹脂で自分の体の型をとって、それに数十台のテレビを並べたオブジェを作ったり、いろいろな物体を樹脂で固めて作品に文字を書き込んだり、およそ日本画からはほど遠い所で制作していました。

そんな私が日本画に戻ることになるきっかけになったのは、知人から院展(日本美術院展)の伊藤先生といっしょに展覧会に出品しないかと誘われたことです。その時は「院展の偉い先生と既存のシステムの枠内でおとなしく日本画展なんかやってられっかよ。」くらいの勢いで、半分断るつもりで、「オブジェ(立体作品)でいいなら出します。」と返事をしました。ところが、先生からの答えは意外にも「それでかまわない。」というものでした。日本画の若い作家を集めた、それもデパートの会場での展覧会であるにも拘らずです。一瞬、虚をつかれたというか。なんか、立体とか平面とか、日本画とか。そういう小さな枠組みにこだわっていたのは自分の方だったことに気がつきました。かくいう自分が恥ずかしくもあり、どうしたらいいか考えた末にどうせ日本画を止めるなら、今まで関わってきたそれに、自分なりにけじめをつけようと思いました。自分で日本画をめいっぱい表現して、この展覧会(「たまたま3+1日本画展」三年間のみ)を最後に日本画に見切りをつけようと思ったのでした。
ところが、開き直ってこれが最後と思ってやってみると、意外に日本画の世界がおもしろいのです。自分としては日本画を清算したつもりで、その後しばらく、油絵の作品展とかやってみたり、鉛筆とアクリルで作品を作ってみたり、写真の作品を作ってみたりしましたが、いつも、日本画が描きたくなるのです。

で、結局また、日本画に戻ってきてしまいました。実際の作風は素材やシステムの上では日本画といえば日本画、そうでないといえばそうでない。でも、自身としては日本画家だという自負を持ってやってるつもりです。ただ、「日本画家ってなんだろう?」 あるいは、「日本画ってなんだろう?」 この際だから、自分なりにきっちり整理してみようと思ったのでした。 それが、このテーマを選んだ動機です。ところが、これがまた一筋縄ではいかないというか、「日本画侮れず」大変なことになってしまったのです。

ちなみに、美術館学芸員の野地耕一郎は日本画を称して次のように述べています。「要するに何をもって『日本画』とするのか。生まれた当初からその定義や概念規定が無いのである。(中略)ただ、定義や規定がないものはない、と積極的に認める地点からしか『新たな絵画』としての日本画の可能性など望み得ないだろう。(第一回トリエンナーレ豊橋-明日の日本画を求めて-図録より)」ということで、最初からこの一文を読んでいたら、こんな無謀な挑戦をしなかったかも知れませんが、もうここまで来てしまった以上引き返せません。

「日本画」という言葉は探れば探るほど、それ以外の「日本的」なあらゆるものの存在と似ていて、一言で言うと「定義できないのに機能している。」不思議な言葉なのです。野地の言う通り、定義できないことを認めて歩き始めないと、先へ進めないのは百も承知で、あえて結論づけて、歩みを止めるという暴挙にうって出ました。

正直なところ、浅薄な知識の寄せ集めと雑な論理の構成で、論文と称するにはお恥ずかしい限りですが、日本画を描いている人間の視点からとらえた「日本画とは何か?」という結論は、研究者の視点とは違っていて、それなりに意義のあるものだった。と一人悦に入っております。が、それよりも何よりも、自分自身にとって「日本画とは何か?」がおぼろげながらに見えてきた。自身の次の制作への糧になった。というのが一番の収穫だったように思います。

ということで、もし、「日本画って何?」ということをお聞きになりたい酔狂な方がいらっしゃれば、最後までお付き合いいただければ幸いです。ただし、前半部分「日本画とは?」は、素材から、属性から、歴史から、システムからアプローチした日本画について述べていて、それなりに学術的(?)な論考になっていますので、全部読む暇もエネルギーもないという方は、最後の三章、・「現在の日本画の問題点」 ヲ「今後の日本画の展望」 ァ「私にとっての日本画」だけお読みください。現在の私の率直な日本画に向かう心境が綴られているはずです(たぶん)。また、今後の日本画の展望について何か参考になる事があるかもしれないし、ないかもしれません。あしからず。 

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