たまたま3+1展を終えて

                     出演  伊東正次 インタビュアー  大桃淳

今年7月17日から22日まで銀座松坂屋別館ギャラリーにおいて日本画の展覧会「たまたま3+1」展が開催された。 出品作家は、伊藤髟耳、伊東正次、大西範明、山本一博の4名。展覧会場には、各々が、10メートルほどの壁面に大作を展示。ここでは、明誠高校で美術を担当している伊東さんに展覧会での反省点と今後の抱負を語ってもらった。

 

0,まず、「たまたま3+1」展のこれまでの経緯をお願いします。

I,日本画家で日本美術院展同人の伊藤 髟耳さんが「若手作家に発表の場を」ということで9年前に始められた展覧会です。メンバーは多摩美術大学日本画の卒業生3名と伊藤さん本人と合わせて4名で行うので、「3+1」ということです。4人のメンバーで3年ずつやって伊藤さんを除く残りの3人が別の3人に順次交代してゆくというシステムです。で、僕たちにとっては、今年が3年目、つまり最後の年だったわけです。

                    自然のダイナミックなエネルギー

O,3年間にわたって発表されたわけですが、それらの作品は最初から計画して描いたのですか。

I,いえ、最初の年に石を描いたときに、2年目には岩の壁を描いて、3年目には水が流れている河原の石を描こうと思ったのですが、2年目に岩の壁面の下絵を伊藤さんに見せたら「あんまりおもしろくないね。」って言うんですよ。

O,そうですね。伊東さんの絵は、写真のように、対象に迫って必要なものを大きく切り抜きますよね。それが、伊東さんの絵の特徴になっていますよね。ところが岩の壁面だけを描くと、その対象へ迫って行く感じがでなくなってしまいますからね。

I,なるほど、そういう見方もありますね。

O,でもそのとき、岩壁をやめてサボテンにしたのはなぜですか?

I,そうですね、たとえば、菊の絵を僕が描いたとします。すると、観る人はパッと見て「菊」と捉えちゃって、「ああ、きれいな花ね」って終わっちゃう。しかし、よくよく見ると、もちろん自然のものだからあたりまえなんだけれど、ダイナミックで面白い形をしているんですよ。だから、その植物の本来持っているダイナミックな動きみたいなものを生の形で、ポンと伝わってゆくように描きたかった。そういう意味でサボテンは、原始的でダイナミックな形態をしていると感じたわけです。

O,伊東さんの見方で、他の人にも自然を捉えてもらいたかったということですか。たとえば、縄文土器が、芸術的に優れていたと言うのは、昔からそう言われていたのではなくて、岡本太郎が、それを発見したわけですよね。縄文土器の素晴しさを目のあたりにして、日本にこんなにすごいものがあると言い出すことによって、初めて、その芸術性に気がつくわけです。同じような作業を伊東さんは、桜やサボテンや岩で表現したかったのですよね。

I,そうですね、僕らは、意外とものを観たときに表面的なもの、記号的といってもよいのかもしれませんが、そうしたものしか見ていないんじゃないでしょうか。岩は岩、水は水って。でも、」よくよく観てみると、岩って水の流れとまったく同じ動きをしているんですよ。水が流れるのをじっと観ていると、右へ行くと次は左へ、というふうに必ず交互に動いていくんだけれど、それが、岩も同じなんですよ。ただ違うのは、その生成する過程が、岩の場合は非常に遅くて、水は速いということ。

O,あとは、素材の違い。

I,そう、素材が違うからできるものが違ってくる。でも、持っているエネルギーの流れ、動きはまったく同じなんですよ。

O,ということは、1年目から、2年目になるときに岩からサボテンに変わったことが、後で思えば自然のエネルギーの動きを表現することになったということになりますね。

I,そうですね、それは、たまたまということもありますし、今から考えて見れば、大学のときに水を描いてまして、その後、折れた杉の木、ひまわり、岩、サボテン、桜、とダイナミックなエネルギーの流れみたいなものに光れる魅かれていたんじゃないかと思います。

マチエール(絵肌)

O,ところで、作品を描くときには、対象を目の前にして描くのですか。                 

I,何年か前まで写真から描くことが多かったのですが、ここ2年ほどは、スケッチをして描くことにしています。

O,写真から描くのと、スケッチをするのと何か違いますか。

I,先日、岩を描きに行ったんですが、先ず最初にやったことは、そこへ行くためのルートづくりだったのです。河原へ降りて行くのに、すごく急な傾斜のところを真夏ですから、生い茂った草とか灌木をなぎ倒しながら(笑)、降りて行けるようにして1日目と2日目はそれで終わりです。で、3日目にやっと目的の岩に到達したのですけど、今度は、どの位置から描くか岩の周りをぐるぐる回って1日が終わり、結局描き始めたのは4日目からでした。雨が降ると描けないし、雨が降ったあとは水が増えて描けないし、そんなこんなで、結局10日間位かかって、デッサンして。そうすると、なんか、岩を見ていても、何か感じるんですよね。(笑)何を感じるのかわからないんですけど。昔から「石の上にも3年」て言いますけど、なんか、こう座っていることに意味がある。と言う気分になるんですよ。

O,3年いようと思いましたか。(笑)そうすると、写真は使わない訳ですか。

I,いえ、写真も併用しています。岩のときは、写真は全体像を一枚に収めたのですが、桜のときは、かなり細かく部分部分を写真にとって、それをつなぎあわせて大きな全体像を作りました。

O,すると、岩と桜とでは細かい部分の見え方に違いが出ると思うのですが、描き込むということの大切さを感じるようになりましたか。

I,そうですね、桜の方が描き込んでますね。

O,それは桜の方が細部まで写真に写っているからですか。

I,たしかに最終的なディティールは写真から描きますから、それもあるかもしれませんが、それよりは、以前はディティールにあまりこだわってなかったんです。いくらディティールを積み重ねていっても全体像は見えてこない、と思っていた。だから、今こうして見てみると、岩の時は、線がすごくぞんざいに描かれていて、近くで見たときに絵肌が美しくない。それが最近、絵はやはりディティールが重要だと思うようになってきました。

O,絵には見るのに適した距離がありますよね。展覧会でも離れて見たい絵と、近づいて見たい絵がある。先ず離れて見て、それから近づいて見たときに、ああ、なるほどねと納得させられるような細工があると、更に、感じるものが違ってくる。確かに全体像として捉えるときには、必要ないかもしれないのですが、たとえば、遠くに離れると一色に見えるものが、50Bに近づいたときにそれが3色に見えるような絵は、さらに面白いのかなと思いますね。

I,そうですね、ディティール、言いかえれば、マチエール(絵肌)が優れているというのはいい絵の必要条件なんじゃないかな。だから、たとえば展覧会カタログに載っている写真を観て、いいなあって思いますよね。じゃあ、それで満足かというと、写真は写真で本物にはかなわない。写真と作品の違いっていうのは、最終的には、絵肌しかない訳でしょう。水墨画なんか特に、その墨が紙に染み込む感じなんかはカタログで見たものと全然違いますよね。手で触れるような触角的なものじゃないでしょうか。だから、岩を描いたときにはまだその意識が薄かったので、近づいて見ると雑に見えるんです。

O,そうすると、伊東さんの絵は、写真的な切り方、つまり、いらない部分を切り取り、対象に迫るという捉え方が、おもしろいのかなと思ったのだけれど、それだけじゃなくて、質感の大切さにこだわって行くという部分もあるということですね。2年目のサボテンのときはどうだったのですか。

I,サボテンのときは、まだ気がついていませんでした。でも薄々は、気がついてはいたのかもしれません。描いているうちに、だんだん飽きてきて、こうじゃないよなーという気分があった。描きながら、これ以上つっこみようがないと思いながら描いていたわけです。

O,じゃ、桜の場合は、思う存分に描き込んだという感じですか。

I,そうですよね、今の僕では限界かもしれないですね。量的にはまだ描けますけど。あと左に2枚、右に3枚とかね(笑)

大道芸的な芸術の在り方

O,世の中には、何々展のために絵を描いて出品するとか、コンクールに出品するとか、そういう絵の世界がありますが、伊東さんの桜の絵はやはり襖に描かれているということで、そういうのとはちょっと違いますよね。

I,違いますよね。

O,やはり、本当は襖として部屋にはまったところを見たいという気がします。伊東さんもこの絵が襖として使われることを十分に意識して描いたんですよね。

I,そうなんです、そのうち、桜の絵を前にして、カラオケでもやりながらパーッと花見をしたいなって思っています。ですから、お寺とかホテルとかで、実際に使ってもらえればいいんですが、なかなかそういう依頼がないもんですから、絵の方が先にできちゃいました。どこか、紹介してもらえませんか。(笑)この間、京都に行って、二条城を見てきたんですけど、高さが、4mくらい、幅が10mくらいの大壁面に絵が描かれているんですが、描いている絵師から自分の絵を描こうという意志があまり感じられないんですよ。この部屋は外様大名が来る部屋だから、竹林に虎の絵柄で 少し脅しをかけようとか、ここは将軍の応接間だから、権威を示すために松に鷹にしようとか、奥の院だから水墨画でシックにまとめようとか、たぶん、テーマが決まっていて、絵師はただ職人として注文に応じて描いているだけなんじゃないかと思うのですよね。だから、これらの絵にはもともと個人という考え方や「わたしの作品」という考え方は希薄ですよね。日本の伝統絵画には、文人画を除いてファインアート(純粋芸術)に相当するものは、存在しなかったのでしょう。もちろん各々の分野において非常に個性的な作品はつくられています。たとえば、浮世絵の写楽や歌麿とか、江戸の奇想画家と呼ばれる若冲、蕭白、芦雪などですが、いずれも、西洋的な意味合いにおけるタブローに発展したわけではない。文人画にしても、タブロー的ではありますが、それも、床の間がけなどの室内装飾の一部という色合いが濃かったようです。いずれにせよ、個性を追及するという意味においては、作品と作者の自立というところまで突き詰められることはなく、明治という時代を迎えたのでしょう。ですから、明治になって展覧会場に絵が並べられても、人々はしばらくなじめなかったのではないでしょうか。

O,そういえば、伊東さんの場合、「たまたま」展の前は、しばらくインスタレーションのような作品を造っていましたよね。

I,そうですね、あの頃、人体を型どったりして展覧会やっていたんですけれども、その時に感じたのは、「自分はこうなんだ」と思ったことをなぜあえて人に見せるのかと。観る側にとっては、エライ、迷惑(笑)なんじゃないかと。観る側と描く側に、必然的な結び付きのあるような場を見つけて描きたいなと思ったわけです。さっき言ったように、江戸時代までは、美術には、表現する「場」というものがしっかりとあったんですよね。ですから、そこに来る人は、芸術作品を見に来るのではなく、ある「場」に来たら、たまたまそこにあった。という形で美術も存在してたんです。

O,その場の雰囲気をどれだけいいものにするか、そのためには、ここにはこういうものがほしい、床の間にはこの絵がいいとか、この時期ならこの絵とか。

I,そうですね、だから芸術は、必ずしも庶民のものであったかどうかはわからないけれども、誰かしらの生活の中にあったんですよ。

O,生活の小道具としてあったということですか。

I,特に日本では、その意味合いが大きいですよね。「用の美」っていうやつですか。近代絵画とは、日本が躍起になって西洋から取り入れたものでもあるんですが、今まで宗教や、王侯貴族の権力や、金持ちの趣味や、なんやかやの美術を支配していたものからの自立、解放を目指してがんばってきた歴史を象徴するものともいえるんじゃないでしょうか。「俺はだれにも束縛されんぞ。自分の描きたいものを描くんだっ。」て。それで、フッと気がつくと周りに誰もいない。で、今度は、「どうすれば、みんなと美術体験を共有できるのか」と、考え始めてきたんじゃないかなあ。その代表的な例が、今はやりのパブリック ・アートということになるんじゃないでしょうか。今どこでもここでもパブリック・アートばやりでイギリスなんかでは、税金の無駄使いでだいぶ問題になっていますよね。日本でも、自治体がお金をかけて、向こうの大作家と呼ばれる人を呼んできて造ってもらったけれど、観る人は、「何でここにこんなものがあるのっ」ていう感じで冷ややかに観てるし、やはり、今まで庶民を無視して、突っ走ってきたつけが回ってきたという感じでしょうか。

O,生活の中にあった芸術が、一回生活から離れて、独自の進化をしていったけれども、離れすぎて、今度は芸術が寂しくなって、生活に入っていこうとした。だけど、芸術の進化の仕方と、人々の生活の進化と合致しなくなってしまった。昔だったら、それが、生活に合致するように芸術が作られていたのに、今は芸術と生活が対等、もしくは、芸術が生活よりも上なんじゃないかと芸術家が考えてきたということですね。じゃ、逆に芸術の中に生活をとりこんじゃうというのはどうですか。

I,それは、どうでしょうね。芸術の中に生活を取り込むほどのエネルギーは芸術にはないでしょう。人が、自分の生活の中で食べるとか、稼ぐとか、寝るとか、セックスするとか、そういったエネルギーは莫大なもので、芸術に消費されるエネルギーなんて、それから比べれば、微々たるものなんじゃないでしょうか。例えば、昨年、瀬戸大橋を作っているところを見にいったんだけど、海の真ん中から、200メートルくらいの高さの柱が立っているんですよ。あの唐突さとそれを造ろうという人間の意思のすごさにしばらく言葉を失っちゃいました。芸術家で誰が金かけているかなんていうものナンセンスなんだけれど、強いていえば、クリストが30億円くらいかけてやってますが、他の芸術家に比べれば、圧倒的に多い方ですが、瀬戸大橋の数兆円と比べると全然少ないですよね。だから、芸術は、そのエネルギーの量からいっても、必然的に生活に従属するもんなんじゃないかと思うんですよね。

O,でも、芸術によって、考え方が変わったり、生き方に大きな変化がある場合もありますよね。

I,もちろんあります。でも、普通の人は、芸術によって変わるというよりは、生活の中で、異性や、親、兄弟、友人、同僚、そういった人々を愛したり、憎んだり、悲しんだり、怒ったり、基本的にはその中で自分という人格が形成されていって、芸術はそれを確認したり、追体験する程度のものなんじゃないかと思いますね。だから、最近、僕は、大道芸という考え方が好きなんですよ。大道芸って、何か、芸術を高尚なものだとか、難解なものだとかというふうにもってまわってなくて、そのままっていう感じがいいなと思うんですね。 大道芸絵師っていうのはどうでしょう。(笑)

O,大道芸絵師ですか?

I,大道芸って、人がいなければ成立しないですよね。いくら自分が好きだからといって、自分一人でやっていたら馬鹿みたいでしょう。(笑)だから、作る側と、観る側の一番いい関係の原点みたいなもんじゃないでしょうか。

O,なるほど、ということは、芸術が生活よりも優位な立場にいて、人の生活を変えようなんていうのは、傲慢だということですね。たまたま芸術によって変わることもあるかもしれないけど。

I,何らかの形で芸術を望んでいる人、何かを観たい、感じたいという人が世の中にいるわけですよね。そうしたときにその人々の前に、その人々の共感を得られるものをポンと投げ出すことができれば、そこに芸術の必然性があるわけでしょう。例えば、先日「もののけ姫」を観たんですけれども、あれがすごいと思ったのは、映像や、音楽やセリフももちろんのことですが、「こんな映画があったら絶対面白いよね。」という映画を作っていることなんですよ。つまり、観る側が観たがっている映画が、あの宮崎駿という監督にははっきりわかっているということなんです。ですから、観たいというエネルギーが、作りたいというエネルギーをどれだけ後押ししているか。それが大きければ大きいほど優れた芸術で、大げさにいえば、それが芸術の命と言えるんじゃないでしょうか。

99パーセントの歴史と1パーセントの個性

I,最近、個性ばやりで、個性を表現しようなんて言ってますけど、どの作品を観ても皆同じに見えることが多いんですよ。あまり人のこと言えませんが。流行の洋服が、はやればはやるほど制服化して見えるようなもので。(笑)それよりも、作品に自分の名前さえいれなかった天平彫刻を観ていたほうが、その作者の個性が、ひしひしと伝わってくる。70年代に、裸で通りを走るというのがはやった。最初に走った人は、こんなこと誰もやったことないだろうと思って走ったのかもしれない。でも一人走ると、その後たくさん走るから、(笑)10年経つと誰が最初かなんていうのはどうでもよくなる。脱いで走るということが歴史化されて、誰が一番脱ぎっぷりがよかったのかとか、誰のが一番衝撃的だったのかということが評価の対象として残るわけですよね。俺が先にやったとかやらないとかの論争は不毛ですよね。

O,てことは、個性は、目新らしいことではなくて、同じ行動、同じスタイルの中から、初めて生まれてくるということですか。

I,そうです。その作品が造られる99パーセント以上は歴史的、社会的な背景の中で培われてきたテクノロジーやメンタリティーの積み重ねによって決定されていて、残りの1パーセントの部分が、個性になるんじゃないでしょうか。紙だって、絵の具だって今、ポコッとでてきたもんじゃなくて、すごく長い歴史の上にあるし、自分たちの感性なんていっても、そのほとんどがその民族や国や地域や家族といったさまざまな環境のなかで培われてきたものだし。

O,だとすると、芸術には個性があまり重要じゃないという風に聞こえますが?

I,いえ、僕は個性がなくてもいいと言ってるんじゃないんです。その歴史の厚みが理解できなければ表現の大半は理解できない。「99パーセントは歴史の上に造られたもので、個性は残り1パーセントなんだ」という自覚を持って表現することで本来の個性が見えてくるんじゃないかと思うんですよ。

O,今回、伊東さんが桜を描こうとしたのもそのへんと関係がありますか。

I,そうですね。自分自身では2年目にサボテンを描いてみて、サボテンだったら襖で誰も描いてないだろう、なんて考えていたところもありまして。そういうキワモノ趣味みたいなのが嫌になって、今回は桜を描きました。桜は、日本画の重要なテーマです。誰もが描いたことのあるテーマで、僕にしか表現できない世界ができればいいなと思ったのです。結果的にはそうなったかどうかわかりませんけど、僕自身は、そういう意味では満足しています。とりあえず正面から当たって砕けたなーと。(笑)

O,砕けましたか。(笑)              

                   今後の制作に向けて

O,それでは最後に、今後の予定、もしくは課題があればお話しください。

I,そうですね、さっき言ったことの中で、芸術と人々の関係というのがありましたが、今回、僕は、伝統的な襖という手法で、もしかしたら人々との接点を見い出せるんじゃないかなと思ったわけです。でも、本当は現代芸術が突っ走って人々の生活から遊離してきたんだとすると、それさえもすでにわれわれの歴史に組み込まれているんだから、それを無視して江戸時代に戻るというのは、退行(笑)と言われてもしょうがないんじゃないかと思います。それは、やはり逃げですよね。ですから、次は、その近代、現代の歴史も踏まえたその先に、美術と生活の幸福な関係、「場」を見い出すことができればいいなと思ってます。言葉で言うと、大変なことをしでかすみたいで、(笑)

O,そうですね。大変そうですね。大変ついでに、もう少し具体的に説明してもらえませんか?

I,それは内緒です。もっと 大変なことになっちゃうと困りますから.(笑)

                                     (1997年  インタビュアー、大桃 淳)

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