日本画とは何か?
ーその答えの先に。弔い役としての日本画家ー

はじめに

1、日本画とは?

2、材質・素材からのアプローチ

3、属性からのアプローチ

4、歴史からのアプローチ

5、システムからのアプローチ

6、日本画とは?/結論

7、現在の日本画の問題点

8、今後の日本画の展望

9、私にとっての日本画

おわりに

<参考文献>

。、属性からのアプローチ

〈日本美術の特徴〉

日本画をその特徴(属性)から思いつくままに挙げてみると、

あ、輪郭線の線描や筆遣いに造形的な価値を認める。

い、色は比較的単純で平面的に処理を行うために、装飾性が高い。

う、陰影や空間意識が希薄。

え、切り取られた画面、つまりタブローの意識が弱い。絵巻や屏風、襖絵、扇面など生活空間の中で、自然に存在している。

 いくつかこれらの特徴を挙げていると、実はこれらの特徴は西洋画と比較した上で述べられていることに気がつきます。つまり、西洋美術が何なのか?それが目指して来たものが何なのかを理解する事で、逆照射されて日本画の性質あるいは、日本の美術の特徴があぶり出されてくるのではないかと推論できる訳です。  ただし、ここでは広義の日本画の特徴について述べたいと思います。広義の日本画とは、古代から現代まで日本で描かれた絵画全般を指します。そして、狭義の日本画は日本画という言葉が生まれた明治以降の日本画を指します。その両面について、共通点と相違点を述べていきたいと思いますが、まずは、西洋美術と比較した上で、広義の日本絵画、あるいは広義の日本美術の特徴を考えていきたいと思います。そして、狭義の日本画の特徴、あるいは狭義の日本画が広義の日本美術とどの点で違っているか、あるいは失ったものは何か? について、第「章、「歴史的からのアプローチ」の所で、述べる事にします。

〈西洋美術とリアリズム〉  

「西洋美術とは?あるいは西洋の芸術が目指して来たものは何か?」 まず、結論から述べると、「リアリズムへの指向」という言葉に集約されるのではないかと思われます。  では足早に西洋の美術をおさらいしてみましょう。西洋におけるリアリズムの歴史はラスコーやアルタミラの壁画において、狩猟民族が獲物の姿を壁画として描写したところから始まります。呪術的な意味合いが強かったと思われますが、それにしても、その動物たちは生き生きと動き出しそうな躍動感に包まれています。彼らが感じたままの動物たちを再現し表現しようとした事は明らかです。  また、ギリシャ時代の彫刻像のリアルさには驚かされます。ヘルメス像やミロのビーナス像など、これらの像が2000年も前に理想的でありなおかつ現実的に造形されていたということは、日本がまだ縄文時代だったことを考え合わせるとさらに驚きです。リアリズムが発展しなかった時代がその次の中世という時代です。この時代は、外界の正確な描写や自然、人体の再現が目的とされなかったというより、軽視された時代でした。それは、つまり神の存在の前に美術そのものがあまり大きな意味をもたなかっただけではなく、視覚を喜ばせる快楽として否定されたからです。中世はヨーロッパ美術史における、リアリズム停滞期と呼ばれる時代です、  リアリズム彫刻の最盛期がギリシャであったとするならば、絵画のリアリズムはルネッサンス期に迎えたというべきでしょう。ファンアイク兄弟によって透視図法が確立され、ダビンチによる空気遠近法、あるいは陰影法などの技術の確立で、目で見た3次元の世界を平面上にリアルに描くことが完成され、なおかつ芸術的にも頂点を迎えたのがこの時期です。ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、デューラー、など。その後の絵画におけるバロック時代、ロココ時代と近代までリアリズムのうねりは続きます。  そして、さらなる技術革新によって、より高度なリアリズムの成果が生まれます。写真と映画です。絵画は描く人間の精神や技術の有無によってリアリズムが担保されていますが、より客観的に、誰でもが、正確に外界を写し取る事ができるようになったことは、リアリズムを飛躍的に進化させました。写真から動く像へ。さらには、外界を写し取るだけではなく、画面上にリアルな像をコンピュータグラフィックスで作る事ができるようになり、さらに、二次元から三次元へとホログラフィーなどの技術革新によってさらに高度に発展してゆく事でしょう。それらは、一貫して「よりリアルなものへ」という指向が生み出した技術革新なのです。

〈近代自我の確立と美術のリアリズム〉

 ここで補足しなければならないのは、写真が生まれた18世紀以降、「外界をそっくりそのまま写し取る」という役割を写真に譲った絵画は、その後どのような方向に進んでいったのか?という疑問なのですが、日本画と関係ないような気がしますが、後々繋がっていきますので、少しお話したいと思います。
  例えば、印象派のモネは茫洋とした形の表現をとったため、「印象派」と揶揄されました。が、戸外で風景を見たときに、同じものが同じ色で見えるということはあるでしょうか。それまでのリアリズムでは人の肌は肌色、コンクリートは灰色ととらえられていました。ところが、同じコンクリートでも夕日で見えるコンクリートと曇った日の朝見えるコンクリートでは色が全然違うわけです。つまり物に即したリアリズムから、その時に目に見えたように描くリアリズムへと転換したのでした。
 あるいはゴーギャンは人間の内面における、つまり心のリアリズムに傾倒しました。外見を似せることよりも心の内面にある真実を描こうと。これは、精神分析学が発達し、今まで心の内部に暗闇として残っていた領域に光を当て始めた時期と一致しています。その後のムンクや表現主義の画家の系譜へと流れていきます。  また、セザンヌは外界を画面にリアルに写し取るのではなく、画面そのものの造形的なリアリズムに取り憑かれた画家でした。画面は何か外界のものを写し取ってリアルなのではなく、画面そのものがリアルなんだ。画面そのものが造形的に強い。美しい。それが重要なんだ。その考えが、その後のピカソや抽象絵画に受け継がれてゆきます。セザンヌが現代絵画の父と呼ばれる所以です。
 つまり、近代絵画は以前と違ったリアリズムへ移行したといえます。その上で、西洋美術史全体に通低するうねりが「リアリズム」だとすると、近現代の西洋美術のもう一つの柱は「オリジナリティー」という概念です。「リアリズム」は近代に入るまで自明の事とされていました。リアリズムを追求すること自体は疑われなかったのです。ところが、近代に入って、個の確立が問われるようになり、近代自我が生まれてきます。それまで、人間は神の前に平等で、個別である事よりも、社会や神との契約においてその使命を全うする事が尊ばれました。ところが、一人一人がどう生きるか、一人一人の幸せは何かということが個別に問われるようになると、「リアリズムとは何か?」ということ自体も個別に問われるようになるのです。それが、先に述べた、モネやゴーギャン、ゴッホ、セザンヌらのそれぞれの「リアリズム」へと結晶していく事になり、写真の発明もそれに拍車をかけました。誰しもが、シャッターを押したとたんに、同じ画像が得られるというのは、いわゆる「オリジナリティー」の概念に反するからです。いかに個別にそれぞれの「リアリズム」を生みだすか。その「オリジナリティー」の発想は現代にも強く引き継がれています。そして、それは西欧のみならず、日本の近現代美術、もちろん日本画にも色濃く反映されて来るのです。

〈日本美術とリアリズムの歴史〉

 次は日本の美術の歴史を見ていきましょう。西洋美術の進化過程とだいぶ違っています。  いかに物に即して外界を正確に再現するかというリアリズムを軸に歩んだ歴史を持つ西洋に比べて、日本は、それらの系譜として捉えられる人達はどちらかというと少数派でした。ざっと、日本のリアリズムの歴史を辿って、思い当たる人物、流派を挙げるとすると

鎌倉の彫刻、定慶、運慶ら慶派と呼ばれる仏師の作品群、(リアリズムの頂点と称される「無著、世親像」や「金剛力士像」の筋肉のつき方などは、解剖学上正確に再現されていることが知られています。)やはり鎌倉時代の肖像画群。(神護寺所蔵で長い間、源頼朝の肖像画と伝えられて来た肖像画など、これをリアリズムと捉えるのは賛否あるかと思いますが。)江戸の奇想の画家若冲、(これだけ対象を克明になおかつ執拗に捉えて描いた例は日本美術にはあまりないと思われます。)それに円山応挙ら円山派(円山応挙は写生の大切さを説き、「気韻生動なども、写生を徹底して行えば、自然に身に付くようになる。」と、述べています。)その後は江戸末期から明治期にかけての西洋リアリズムに影響を受けた画家、谷文晁や司馬江漢、高橋由一、岸田劉生、速水御舟らになってしまいます。

〈日本美術と非リアリズムの歴史〉

 逆に非リアリズムの美術としては、縄文、弥生の土器から始まって、高松塚古墳の壁画、埴輪(中国の兵馬俑と比較すると、技術の差というよりも目指した方向性の違い感じます。中国のそれがリアリズムで造形されているのに比較して、日本の埴輪は牧歌的でカワイイ系と言えるかもしれません。)、飛鳥、天平の仏像彫刻(東大寺戒壇院の四天王像や興福寺の阿修羅像など、天平彫刻をリアリズムとして捉える研究もありますが、どちらかというと表現のユニークさ、独自性を特徴とすべきではないかと思います。)、天平の工芸、平安末期から鎌倉へかけての源氏物語、鳥獣人物戯画、信貴山縁起、平治物語等の絵巻物、(これらの絵巻物は日本の絵画史の頂点と言っても過言ではないかと思いますが、その物語のおもしろさ、顔や体の表情など表現力の豊かさに特筆すべき点があります。)室町の周文、雪舟ら水墨画家たち、(水墨画も中国からの輸入ですが、北宋の水墨画家、李成、范寛、郭煕におけるリアリズムと比較すると、形式的、図案的、情緒的なところが特徴です。ただ、雪舟の後期の天橋立図などに、中国の模倣に終わらない、日本の自然を見て描いた、ある種のリアリズムが見て取れるかもしれません。)桃山に入ると狩野永徳、山楽、長谷川等伯ら障壁画(障壁画であるために、豪華絢爛、装飾的であることが一義的に求められました。)さらに洛中洛外図、俵屋宗達、尾形光琳ら江戸琳派、(これらは日本の絵画史の中でも突出して平面性、装飾性に特徴があると言えます。)江戸の奇想の画家、曽我蕭白、伊藤若冲、長沢芦雪、(狩野派の規範に則って描かれた障壁画の様式化が進み、形骸化してゆく中で、彼らの作風は個性的で夢想的でした。ただ、中で、若冲はリアリズムか非リアリズムかと諸説ありますが、これは対象に迫ろうとした点においては、まさしくリアリズムの画家ですが、結果とし生まれて来た画風は奇想という言葉が示す通り、リアリズムを通り越して幻想的、個性的な作品になっていると言えるでしょう。)浮世絵の写楽、歌麿、北斎、広重、(日本の絵画として、西洋絵画に大きな影響を及ぼしたのが、彼らの浮世絵でした。これについては後筆しますが、やはりリアリズムというよりは平面性を全面に打ち出して捉えた大首絵の表現は独自性に特徴があるでしょう。)文人画家の池大雅、与謝蕪村、(彼らも手段としては水墨画を選びましたが、描かれた世界観としては、心象風景というのに近いかもしれません。)円空、木喰らの彫刻、(荒々しい彫り跡が心の仏像と言えるかもしれません。)明治期の日本画家横山大観、菱田春草(高い精神性を目指しました。)、文人画の富岡鉄斎と、圧倒的に非リアリズムの画家たちに軍配が上がるのではないでしょうか。

〈日本美術の海外からの評価の前提〉

 さて、日本美術全体の特徴を捉える時に、特筆すべき時代、流派をとらえるとするとどの辺になるか、これにはさまざまな意見があります。例えば、法隆寺宝物、東大寺と天平彫刻、興福寺と鎌倉彫刻。桃山の障壁画。江戸琳派。どれも固有の日本文化であり、日本を代表する美術である事には相違ないのですが、ここではあえて、自国の美術史観から一度離れて、海外、外部から見た日本美術の特徴はどこか考えてみる事にします。なぜかというと、西洋の美術を日本人つまり外部から評価するのであれば、日本の美術もあえて、外部から評価しないと、その公平性が保てないと思うからです。自己評価というのは、他人からの評価と比べて甘くなるだけではなく、視点そのものに偏りがあるため、客観性が保てないおそれがあります。外部の評価にさらされて、初めて日本の美術の特徴が自虐あるいは皇国史観的日本美術評価から抜け出せ、明らかになるのではないかと思います。

<日本美術の海外からの評価>

 さて、その上で、日本の美術が海外に評価された、評価を受けたのはいつの時代のどの美術かというと、これは結構、難しい問題ではないでしょうか。日本美術史は、外国からの影響と言えば、かなりの紙面を割いて、中国、朝鮮、あるいはヨーロッパの影響がどの時期にどのようにあったかについて述べられていますが、外国への影響というと、かなり少なくなってしまいます。それだけ、日本は東方の辺境地として、文化の吹きだまりの位置に長らくあったために、海外から質量ともに圧倒的に輸入超過であったかもしれません。あるいは、第二次世界大戦後、日本の誇大妄想史観に対する反省からか、日本文化を自慢する風潮を自粛する気分なども影響しているかもしれません。それとも、私自身の勉強不足なだけかもしれません。  その上で、いくつか思いつくのは、ブルーノ・タウトによって絶賛された「桂離宮」であるとか、明治の初め、外国人教師フェノロサによって扉を開けられ、一般の人々の前に姿を現した秘仏、白鳳彫刻である「救世観音」。(これなどは外国人であったため、あるいは、外国からの圧力をひしひしと感じていた時代だったからこそ、実現できた行為だったのではないかと考えられます。評価というには少し違うかもしれませんが、外国の力によって仏像が信仰の対象から、鑑賞の対象になった大きな出来事だったのではないかと思います。)あるいは、現代のアメリカのコレクターによって収集された若冲ら江戸の奇想の画家たち。などですが、影響力の大きさをいうならば次の3つになるのではないかと思います。  一つ目は室町から桃山にかけて中国朝鮮ヨーロッパなどに輸出された屏風絵、二つ目は江戸の浮世絵と陶磁器。三つ目が現代の映画、アニメーションとデザイン。

1、 室町から桃山期の屏風絵

 まず、室町から桃山にかけて、かなりの数の屏風絵、扇面などが海外に渡ったとされています。明や朝鮮への贈答品として、あるいは国際マーケットにおける主力商品であったということです。また、中国朝鮮に留まらず、ポルトガルやスペインとの交易品としても、かの地で珍重されていたそうです。そのことは、ビオブという言葉がポルトガル語になっていることを考えるとその影響の大きさが伺い知る事ができます。また、屏風絵は江戸末期にも国どうしの進物としても朝鮮や欧米列強へも贈られたようです。これら日本の屏風絵の特徴としては、日本にとって文化的な宗主国であった中国の美術が「真」を描く事を求めたのに対して、日本の絵画は「装飾的な美」を求めていたことにあります。それが、物足りなさと同時に家の装飾品として珍重されたと言えるのではないでしょうか。

2、江戸の浮世絵と陶磁器

 これについては二つの時期が挙げられます。一つは17世紀のオランダ東インド会社の手によって、数百万点の中国、日本の陶磁器が西欧にもたらされた時期。陶磁器は「チャイナ」と呼ばれ、その純白の磁器は憧れを持って受け入れられました。そのうちのどれくらいが日本の陶磁器であったかは定かではありませんが、有田の柿右衛門のコピーがマイセン窯で多く作られている事などを考えると与えた影響は大きかったと言えるでしょう。  また、もう一つの時期は1859年日本が欧米各国と通商を開始してからの時期です。この時期にやはり大量の浮世絵や工芸品がヨーロッパに輸出され、ジャポニスム(日本ブーム)が沸き起こったのです。この辺は最近の研究の結果が明らかにされてきていますが、例えば北斎漫画がエミール・ガレなどの陶磁器やガラスの図柄として用いられています。また、ロートレックの構図に広重の絵の構図が用いられたり、水平線はそれまで、画面の下半分に入れるのが常識でしたが、それを上方に入れるなど、日本の絵画の大胆な構図などが多く取り入れられたりしています。また、ゴッホやモネ、マネなどは直接の画題の中に浮世絵や日本の着物やセンスを描き込んだりしています。これらは写真が普及した時期と重なって、絵画自身が方向転換を強いられていたため、それに呼応する形で日本の美術の平面性、装飾性などの多様な発想に刺激を受けて、外界を描くリアリズムから、心のリアリズム、あるいは抽象絵画へと変革する大きな刺激を与えたのではないかと推測できます。このあたりは、日本の影響を過大に評価することは避けたいと思いますが、これからの研究が進めばより明らかになって来ると思われます。  これらの特徴としては、一つは「装飾品としての美術」あるいは「用の美」ということと、浮世絵に描かれた人物や風景の「平面的な造形のおもしろさ、強さ」にも特徴があります。それは、西洋絵画が外界を写し取るリアリズムを発展させたために、平面上の立体感、(空間)が重用視されたのに対して、純粋に「平面上の造形のおもしろさ、強さ」を目指したと言えるかと思います。先に挙げた印象派への影響などは、これが大きく作用したと言えるでしょう。

3、現代のアニメーションとデザイン

 三つ目は、現代のアニメーション、デザインです。現代は戦前と比べて、グローバル化が進み海外への露出度が高くなっているため、海外で取り扱われる事が、一概に評価に繋がるのかという指摘もありますが、影響力の大きいことは確かです。
 その上で文化輸出として、アニメーションを取りあげてみたいと思います。アニメーションはジャパニメーションという言葉ができたくらい、ヨーロッパ、アメリカ、あるいはそれ以外の国々に大きな影響を与えています。アニメーションは文化的な影響だけでなく、輸出としてもいわゆるグッズの販売をねらった経済効果として、かなり大きな位置を占めています。
 また、これらのアニメーションが海外で評価を得る一方で、「アニメ」の独自性のルーツを「絵巻物」に求める専門家もかなりいるという点です。これについてはかなり異論もあります。
「はっきり言って、手塚以降のマンガを、日本の古美術との連続性という文脈でとらえることには、ほとんど意味がない。(中略)私がどうしようもなく冷淡になってしまう手塚治虫という存在の歴史的意味は、実は、マンガを「美術」から切り離した事にある、という事実に、早く気づいて欲しい。(山下佑二)1998,12月号美術手帖より」」など、しかし、トータルとしてなぜ、現代日本にマンガ文化が華開いたか、日本の現代性、特殊性だけ語っても、説明がつかないのではないかと思います。もちろん、だからといって、伝統文化との関わりだけでも説明はつかない事も確かですが。
 その上で、あえて、述べるとすると、キーワードは「絵空事」だと思います。鳥獣人物戯画の作者と言い伝えられて来た、鳥羽僧正覚ゆうの逸話に、僧正が弟子の絵の難点を指摘したところ、「僧正の絵にも誇大な表現は多く、そもそも『絵空事』ではないか」と、逆に言い負かされてしまった。という逸話があります。この逸話が語っているのは、いわゆる「理屈の整合性(リアリズム)よりも、物語や画面のおもしろさを優先している。」という点です。こういう心象が、現代に引き継がれているのではないかということは、はたしてまちがいと言えるでしょうか。
 その上で、素人の目から見た「アニメ」の「絵巻物」からの影響として次の3点を指摘しておきたいと思います。
1、物語を時間的経緯に沿って描く素地があった事。(絵巻物の独自性は、空間表現だった絵画に時間軸を取り入れた点でした。)
2、対象を単純化された線で描く技術が絵巻物ですでに完成されていた事。
3、ユーモアやナンセンスを交えて、エンターテイメントとして描かれている事。
 また、現代のファッションデザインや建築、工業デザインの分野でも世界的に活躍するデザイナーは枚挙に暇がありませんので、ここでは、二点だけを指摘するに留めたいと思います。
 一つは、ファッションや、建築、工業デザイナーなどの有名デザイナーはもちろん、世界津々浦々に浸透している、車やオーディオビジュアルの機器のデザインなど、そういった工業製品のデザインでも世界のリーダーとしての役割を果している点。
 そして、もう一つは、日本の文化をうまく取り入れたデザイナー、あるいはユニバーサルなデザインを目指し日本文化を否定したデザイナー、どちらにも共通して言えるのは、「新しい」ということです。「新しい」という事はイコール、「オリジナル」という事になります。日本的な伝統を素地として現代的なデザインを立ち上げても、西欧から見れば、新しく見えるし、逆に、それらを否定して、現代の最先端に行っても、当然「新しい」わけです。その「新しさ」、今までかつて見た事もないデザインが、西欧文化にインパクトを与えているのではないかと思います。
 こうして見てくると、現代も機能性のある美術「用の美」の作家たちが世界のトップリーダーとしての役割を担っているということを指摘しておきたいと思います。

 以上3つの時期の、それぞれの美術の海外での評価を辿ってきましたが、まとめると、その3点から見える日本の美術の特徴は以下の5つになるかと思います。
1、屏風絵に代表される画面の「装飾的な美」
2、陶磁器や屏風絵などの「用の美」
3、屏風絵、浮世絵、絵巻物などの「平面的な処理と線を生かした造形の強さ」
4、現代のアニメーションや映画、あるいは平安から鎌倉にかけて描かれた絵巻物の「絵空事、空想的な物語のおもしろさ」
5、現代のデザイナーに共通する「世界的に見て斬新で新しい=オリジナル、機能美」
 これらが、西洋の美術の歴史に対峙する、西欧、もしくは海外から見た日本美術の特徴と言えるのではないでしょうか。

 その上で、海外から見た日本美術の評価とは別に、国内での評価というより、私自身がとらえた日本美術の良さも少しだけとりあげておきたいと思います。
 一つは「松林図」に見られる、「親和的な癒しの表現と高い精神性」。かつて、天心や大観が追い求めた高い精神性という表現が、結果として他からの客観的な批判や批評を妨げ、日本画の伝統の再興を閉ざしてしまったと私は思っています。したがって「日本人として」「優れた日本固有の文化」などの日本的な抽象的な概念を振りまわさないで、個人の精神世界に入っていくならば、精神性の世界は可能性を秘めていると思います。
 二つ目は、雪舟の水墨画、源頼朝像と伝えられる神護寺の画像群、若冲の動植物彩絵や速水御舟に見られた「リアリズムの系譜」。確かにリアリズムの本家本元ヨーロッパあるいは中国の水墨画とは違いますが、若冲の絵画のリアリズムや運慶ら彫刻のそれは現代絵画、美術へのインパクトとしても十分にあるし、今後の可能性も大いに含んでいると思います。
 そして、三つ目は「情念」。これは、江戸の奇想の画家の系譜や幕末から明治にかけての歌川国芳、月岡芳年、河鍋暁斎ら浮世絵師、あるいは古くは地獄草紙や不動明王などに見られる情念の世界。現代の日本の映画界ではホラーものがヒットします。ハリウッドも日本のホラーものをアメリカで焼き直した映画を次々と公開しています。日本人のおどろおどろしい心性が、日本画の世界にも現れてくればおもしろい展開が期待できるかもしれません。

<日本画の海外での評価>

 もう一つ、現代のデザイナーの国際的な評価が出たついでに、いわゆる狭義の日本画家の国際的な評価がどのようなものであるかだけ、ちょっとふれておきたいと思います。狭義の日本画とは日本画という言葉ができた明治以降の日本画です。海外への影響という意味でたくさんの名前を挙げたいところですが、実はあまり芳しくありません。ほとんど、海外からの評価は未知数。あるいは、ほぼ「ない」か「低い」と言えます。
 国際美術展での評価でも「1951年の第一回サンパウロ・ビエンナーレの伊東深水、太田聴雨、児玉希望、郷倉千靱ら14名が、53年の第二回展には水越松南が、また、52年の第6回展から参加したヴェネチア・ビエンナーレには、鏑木清方、横山大観、小林古径、徳岡神泉ら7名が、58年の第29回展には川端龍子、前田青邨が選ばれて、出品している。(『日本美術館』菊屋吉生より抜粋)」とありますが、同時に「サンパウロ・ビエンナーレやヴェネチア・ビエンナーレには、違和感をもたれながらも日本の代表としてベテラン日本画家が選ばれていく。(同書より抜粋)」と述べられています。ちなみに、52年のヴェネチア・ビエンナーレでは日本人コミッショナーの梅原龍三郎が、58年はやはり滝口修造が選抜していますので、実態としては、海外からの評価というよりも、日本人による評価です。同様に、ヴェネチア・ビエンナーレで優秀賞を受賞した「千住博」も、日本人評論家の伊東順二の推薦です。他にも、海外での個展とか、展覧会はありますが、ほとんど、日本から自分で持って行って海外の評価を問うという性格の展覧会が多く、海外の美術館やギャラリーが積極的にその作家を評価紹介する意図で行われた例はあまりないのではないでしょうか。私の勉強不足もあると思いますが、デザインや映画、アニメーションに比べて、圧倒的に少ないのは確かなようです。
 何度も言うように、海外での日本美術の紹介そのものが遅れているという現状もある事は確かですが、そんな中でも、北斎や写楽の様な浮世絵師や、蕭白、若冲など奇想の画家たちが海外で高く評価されているにもかかわらず、明治以降の日本画家の中からそのような画家が現れない事は、認知度の問題とだけとはいえないと思います。ましてや、現代美術作家やデザイナーが海外で大きくクローズアップされているのに比較しても、日本画の評価は相当に低いと結論づけるしかないように思います。
 

新着情報 /作品 /略歴 /お知らせ /技法 / 紀行/対談 /草馬の絵 /作家紹介 /雑感 /遊び場 /夢工房 /掲示板 /ブログ /お便り /リンク /HOME