日本画とは何か?
ーその答えの先に。弔い役としての日本画家ー

日本大学明誠高等学校研究紀要第32巻掲載

ァ、私にとっての日本画

<素材との関わり>

  この論考をここまで綴ってきて、今までずっと抱え続けていた日本画についての疑問、もやもやとしていた疑問の答えがおぼろげながらに見えてきた気がします。私自身が雪舟、若冲、等伯らの古典を意識して描けば描くほど、現在の日本画壇の中心から離れて行くという気がするのです。それが「属性からのアプローチ」の章を書いていて、ふと、思い当たったのです。
 現在の日本画は、明治初めの日本画の成立の時に、日本の伝統的な美意識を切り捨てる事で、日本画システムとして生き延びたのだとすれば、現代の日本画の方がもしかしたら、日本美術の雪舟や若冲や等伯の、正統な継承者となっていないのではないか。

 今回私自身が描いた作品を例に挙げると、私の場合、和紙に墨とボールペンで形を描き、彩色は顔彩というチューブ入りの粒子のない絵の具を使っています。バックには銀箔を押して(貼って)います。これが、今の日本画とどのように違うかというと、一つはボールペンを使って形を描いている点、二点目は粒子のない顔料を使って彩色している点、そして三点目は箔の使い方です。
 まず、日本画の線書きは墨による骨描きが基本ですが、私の場合はボールペンで描きます。墨書きを行う場合、直接墨で描く人もいますが、軽く鉛筆で下図を描きとりその上から墨を使って骨描きを行う人、あるいは鉛筆だけで下書きを行う人、木炭で下書きを描く人などがいます。が、しかし、ボールペンを使う人はあまりいません。鉛筆もボールペンも同じ西欧からの画材なのですが、大きく異なっているのは、鉛筆の場合はあくまで、その線が最後に「消える事」、あるいは、「見えなくなる事」を前提としているのですが、私がボールペンを使用する理由は、その硬く、直線的な線自体を「見せる事」ができるからです。言うなれば、鉛筆の下書きはあくまで、筆で描く時に間違えないための下描きをするという補足的な使い方という意味合いが強く、(そうでない人もいるでしょうが)、ボールペンの場合は、線としての強い表現を目指して使うのです。何度か筆で墨を用いて描いた事もありましたが、小さいときから筆ではなく、鉛筆文化でそだっているせいか、その硬質感がないと、生理的にだめなんです。
 さらに、彩色ですが、日本画の人は、ほぼ99%、岩絵の具というざらざらとした粒子の粗い顔料を使います。日本画の顔料が他の素材と違っている特徴は、そのざらざらとした粒子の粗い質感です。これは油絵の具にも水彩絵の具にもアクリル絵の具にもない特徴になっています。そのことは認めた上で、しかし、古来からある日本画の特徴かと言えば、そうとばかりは言い切れないのです。古来、伝統的に日本画は膠を使って顔料を和紙、絹、板などに描いてきました。和紙や絹は基底剤として強度が弱いので、粒子の粗い顔料は剥落(剥がれる)の原因になります。したがって、粒子が粗いという事は欠点としてとらえられることはあっても、長所としてはとらえられませんでした。昔の技法は単純に言えば輪郭線を描いて、中を色の粉で塗る、塗り絵のような感じです。それに対して、現在の日本画家の多くの人が「ざらざら」とした絵の具を画面の質感のおもしろさとして描いています。それをマチエール(絵肌)といいます。ちなみに日本画の顔料は粒子が粗いほど、純色に近く、粒子が細かくなればなるほど、色が白っぽくなります。そのため、どうしても純色に近い色で描きたい場合には、粗い粒子のものを使わざるを得ないのです。それは、確かに原始的というか、自然にあるものをそのまま生かすという日本食のテイストに近いものがあるのかもしれませんので、そのこと自体は日本的といっていいかもしれませんが、私自身違和感があるのは、多くの現代若い日本画家が一様にそのことを遵守しているという点です。つまり、古来日本画の先輩たちが、「ざらざら感」にこだわって描いてきたのではないのに、あたかも、それが日本画の特質であると思い込んでいる。あるいは、それ以外の顔料の使い方、方法論に思いを馳せないでいる。という無自覚性について、疑問を感じているのです。
 線書きに墨を使うのももちろん「あり」です。そのこと自体は日本画の伝統技法ですが、墨ははたして、線描きにだけ使うものでしょうか? 室町から江戸にかけての水墨画家たちは、顔料をほとんど使わないで、墨を筆の勢い、筆の表情を大切にして、水墨画を描きました。また、箔も今の日本画家の人はあくまでマチエールとして使います。つまり、絵肌のおもしろさを表現するために用いる場合が圧倒的に多いのですが、やはり、屏風絵を描いた絵師たちは、箔は空間として用いていました。例えば、「洛中洛外図」に典型的に見られるように、町や人物を配して、その空きの空間を箔で埋めたのでした。つまり、描いた部分と描いていない部分を切り分けるために、描いていない部分を箔で表現したのです。すべてを描くと見せたい所が、見えにくくなってしまいます。あえて、金属箔で単純化して大胆に空間を処理したのです。実と虚と言い方をすれば、虚の部分。有と無という言い方をすれば無の部分。さらには、箔は室内の明かりとしての意味も大きかったようです。昔は今と違って、室内は明るくありませんでした。そのために箔に光を反射させて外光を取り入れていました。つまり、箔を使うにしても単にマチエールとして絵肌のおもしろさだけに箔の利用価値があるのではなく、伝統的なさまざまな意味合い、表現の仕方を理解すれば、箔の使い方がもっと自由になるはずなのです。ところが、どうも、現代の日本画ではそういった技法面でもテーマとしても定型化というか類型化されているような気がしてなりません。

<個性とは?>

 笑い話として、ある日本画家の方から、次の様な話を聞いた事があります。「以前、アメリカ人の美術関係者が日本に来て、ある団体展を観て、こう言ったそうです。『凄いですね。一人でこんなにたくさんの絵が描けるなんて。』」 彼は、団体展で数百人の人が一人一点ずつ展示している作品群を観て、一人の作者が全部を描いたと勘違いした。ということは、とりもなおさず、すべての作品が、ほとんど同じに見えたという事なのです。最初に笑い話と言いながら、全然笑えない話なのですが、もちろん、これは極論ですが、いかに日本画の作家たちの類型化が進んでいるかを示す象徴的な話だと思います。          
 その上で、「もし、現代に雪舟が生き返ったとしたら、彼はどのような技法でどのようなモチーフを描くだろう?」日本画顔料のざらざらしたマチエールに「なんだこりゃ?」と言うかもしれません。あるいは、箔の使われ方に「それは違う。」と言うかもしれません。あるいは、コンピューターをみて、「これはおもしろい。使ってみよう。」と言うかも知れません。つまり、その人が生きている中で、何を描くかそれに合わせて、その時代、その人の必然性に合わせて、それらの材料、技法、テーマを選んでいく。そういう仕方で日本画がさまざまにばらけてきて、それぞれのばらけた日本画の総体として、その時代その時代の日本画が決まってくるのであれば、日本画はおもしろくなるのではないでしょうか。それが、後世から観た時に、総体として、平成の日本画という風にとらえられるのではないでしょうか。
 逆に皆が同じような技法、同じ様なテーマを描きながら本質的なところで、それぞれの個性が突出しているというのであれば、それももちろん「あり」だと思います。例えば、鎌倉や天平彫刻を観て、技法やテーマは同じですが、そこに彫られている精神は個々に息づいています。そういう、個性、あくまで西欧的な意味だけではなく、人が生きてその絵なり彫刻に向き合って、その作者と作品の間に生まれてくる何か。それは技術やテーマといった表面的なものではない、その人の生き方のようなものだと思います。
 天平の仏師が仏像を造る時に、個性なんて事は多分微塵も考えなかったことでしょう。師匠や先輩の方法論を叩き込まれて、それと同じに、あるいは一歩でも近づくために頑張ったんだと思います。だけど、ひたすら自身を無にして「のみ」をふるううちにそこに自分が現れて出てきた。という形で、その作者の個性の発現がなされたのではないでしょうか。逆の事をいうようですが、今の日本画家たちも、(もちろん自分も含めてですが、)もしかしたら、それくらいその技術なりスタイルなりを既存のシステムにがっちり組み込まれてみる事も必要なのかもしれません。師匠と同じテーマを師匠と同じスタイルで描きながら、無心で描いていれば、いつかそこに自分の姿が現れて来ないとも限りません。

<スタイルが先か?内容が先か?>

 二つはまったく違ったアプローチに見えますが、そういう、「自分が二つに引き裂かれた状態に自覚的になる」ことが大切だと私は思っています。自分の表現したい事は何か、さまざまある表現媒体の中から一番適したものを選ぶという方法と、先に表現媒体を決めて、それに無心で取り組んでいるうちに、自分の描きたい事が決まり、自分のスタイルが決まる。二つは、「表現スタイルが先か?」「表現内容が先か?」。人生の選択として、日本画を選ぶという事はとりもなおさず、スタイルを決定するという事です。しかし、それを選んだ後には、その選択はないかというと、いつも他の媒体を取り入れたり、あるいは、他の媒体との違いを考える事で、今の媒体の良さを認識したりするはずです。また、今自身が関わっている表現方法の中で、最大限その表現の可能性を探って行く中で、自身の表現したい事が見えてくる。何をするべきなのかが見えてくることもあるはずです。つまり、どちらも、短いスパン、長いスパンとさまざまな様相で自身の表現活動の中にうねりのように現れてきます。表現したい事ができてから、その技術を学びはじめたのでは遅すぎるし、かといって、表現方法だけ学んでいたのでは、内容のない形骸化した作品にならざるを得ません。その二つの逆方向のベクトルを自分の内部に持ち続ける事で、自身の中に曵き合いぶつかり合うエネルギーが力として発生してくるのではないでしょうか。大切な事は、常に自分を未完成系としてとらえる事、「描けた!」と思えば、それはするりと自分のそばを通り抜けて行く。なんとか頑張ってまた「辿り着いた!」と思ったら、また、わからなくなる。それを繰り返して行くプロセスを厭わないで続ける。いつか未完成のまま体が滅びる。それが、「芸術は長く人生は短し」そういうもんだと思います。かくいう「引き裂かれた自我」を保ち続ける精神の強靭さを持つことが、私は一番大切だと思っています。

<ラディカルさについて/会田誠>

 そのことについて、会田誠がラディカルで的確な指摘をしているので載せておきます。

「さて、僕がこれからの若い日本画家に望むもの、それは『もっとラディカルであれ』の一語につきます。ラディカルとはふつう『過激』『急進的』という意味ですが、本来は『根源的』という意味らしいーそういう二重の意味のラディカルさです。
 日本画科の卒業展や院展を一観客として観て、前々から抱いていた感想ですが、マテリアルが全員『岩絵具オン雲肌麻紙(くもはだまし)』だという、そのことだけですでにかなり退屈です。なんですか、あの『みんなしてザラザラ〜』な感じは。画材に関するあの不文律が、外部のお客さん(たとえば絵なんかめったに見ないロック少年とか、浮世絵好きの外人さんとか)にとっていかに腑に落ちないか、あるいは無気味な統制に見えるか、少しは想像力を働かせてみるべきです。『このザラザラがそんなに大切なの?ただの紙ヤスリじゃん。わっかんねー!』そんな声が聞こえてきませんか?
 まず聞きたいのは、なんでもっと水墨や淡彩の表現がないんですか?相変わらず日本人はそういう『あっさり系』が得意なはずなのに。あと、下絵を慎重にトレースしたうえで描くみたいな『固まった』絵ばっかだし。心の眼に映じた風景を一気に描く雪舟たちの伝統はすっかり途絶えちゃったんですか?そんなことだと、一般ピープルはますます鶴太郎のほうがよほど立派な『日本画家』だと思っちゃいますよ。
 アクリル使いたい人はガンガン使えばいいと思う。ふつう表現者というのは、その時代の科学技術が提供する最先端の媒体(絵描きなら絵具)にホイホイ飛びつくもの。ラスコーの壁画描いた奴も、源氏物語絵巻描いた奴も、今ならさしずめCG使いまくっているミーハー・クリエイターに類した人種だったはず。こんなこといわなくても承知だろうけど、現代においても岩絵具を使い続けるというのは、初期がんが発見されたのに室町時代の医療で治そうとするようなもの。その頑迷さは一応認めているつもりだけど、日本画科に集まる(カルチャーのおばさんならぬ)現代の若者がそれを素直に遵守している光景を見ると、ほとんど、カルトなマインドコントロールを連想しちゃいます。(中略)
 ちなみに僕は『ミニマル』という<なんちゃって日本画系>の作品で『天皇陛下万歳』という文字を日本人の血液で描いたけど、外国産のアズライト砕いた岩群青なんかより、日本画としてよっぽど正統な画材だと思っています。
 アクリルなどの現代のワールド・スタンダードを拒むなら、いっそ実生活でも『コンクリとアスファルトの地面は死んでも踏まない!』と、決めて、山奥の庵に生涯こもるくらいの気骨を見せてほしいものです。とにかく、頑丈なキャンバスの代用品みたいな雲肌麻紙とか、<新岩>なんて露骨なフェイクまで使って守る古典技法の中途半端さが、僕にはまったく納得いきません。(中略)
 でも、僕が個人的に見たい<現代日本画>は、そんなTみんな(世間/世界)に合わせたちょっと新しい方向Uのものではなかったりします。それは逆に、最初にいった『ラディカル=根源的』な意味における、古いもの。人類史を一人で敵に回す様な、壮大な野心と悲壮な覚悟を伴う反時代精神-みたいなものです。西洋、そして最近はますますアメリカ中心主義になってゆくこの地球に敢然と疑義を申し立てる、前近代・非西洋の闇から蘇った、亡霊にしてニューヒーローたる二十一世紀の日本画-。その実体を僕はなんとなく夢想するんだけど、具体的な形になりません。なったら、自分でやっている。だから誰か、そう、これを読んでいる日本画科の若いキミ、やってくんないかなあー(もちろん村上隆氏はこの方向でもかなりの戦果を上げていると思いますが、彼以外のアプローチもまだまだ考えられるはず)。(「現代日本画の発想」会田誠 より抜粋)」

<なぜ日本画にこだわるか?>

 会田誠のいうところの「『ラディカル=根源的』な意味における、古いもの。人類史を一人で敵に回す様な、壮大な野心と悲壮な覚悟を伴う反時代精神-みたいなものです。」私自身がそれを具現化できればと思うと同時に、それなら「日本画にこだわる理由があるのか?」という疑問も湧いてきます。
 学生運動が華やかなりし頃、学生がどっとお祭り騒ぎのように学生紛争に関わりその運動を展開しました。ところが、熱がさめて運動が沈静化、収束していった後、最後の局面で、黙々と一人、立て看板を片付けている人がいました。それについて内田樹は次のように語っています。

「しかし、あらゆる政治運動は、どれほど綱領的に整合的でも、政治的に正しくても、必ずいつかは『落ち目』になる。これは歴史が教える永遠の真理である。しかし、政治運動が歴史的事象として記憶され、知的なリソースとして後代に活用されるためには、この『落ち目の局面』を粛々と担う『後退戦の将兵たち』が必要である。
 ある政治的運動の歴史的な価値は、祝祭的な場面における動員数や、そこで破壊されたものの規模によってではなく、『非祝祭的後退戦』を黙々と担う『弔い役』の仕事のていねいさによって決まるのである。
『棺を蓋いて定まる』と古諺に言う通り、人の世の出来事はすべてが終わり、『がたん』と棺の蓋が閉まったときにはじめてそれが何であったかがわかる。誰もがその思想や運動に見向きもしなくなったとき、こつこつと『後片付け』をする人間がどれだけていねいにその仕事を果たすかで、その価値は決まる。(中略)
 繰り返し書くが、あらゆる政治運動、政治思想は『短い栄光の夏』と『エンドレスの気鬱な冬』から形成されている。そして、その運動や思想の価値を最終的に決定するのは『冬の過ごし方』に知的リソースを投じたひとにぎりの人々なのである。(狼少年のパラドクスーウチダ式教育再生論ー 内田樹著より抜粋)」
 この文章の「政治的運動」を、「絵画運動」あるいは「日本画運動」と置き換えてみてください。明治期の一時期、日本が外国からの圧力に屈し無理矢理欧化政策を行ったときに、当然それまでの既存の価値観、文化、システム、伝統、慣習あるいは国民のプライド、アイデンティティーといったものが大きく損なわれました。その穴埋めのために、政治的社会的な意図をもって作られたのが日本画です。そのシステムはそれ以降1世紀以上の時を刻み、もしかしたらその社会的使命、役割を終えようとしているのではないかと思います。先ほどは日本画の可能性に言及したばかりなのに、社会的使命が終わるというのは、腑に落ちないかもしれません。しかし、村上隆が日本画の未来を考えたときに、まったく日本画ではない表現になってしまったのと同様に、これからの日本画家が真剣に日本画を描いていけば、あるいは日本画に取り組んでいけば、もしかしたら、日本画というシステムそのものの枠組みからはずれ、現在のシステムは解体するかも知れません。

<弔い役>

 昨今、公募展を観に行く人はその多くが年配の人達です。若い人も年を取れば趣向も変わってきて、日本画に魅力を感じ始めるかもしれません。でも、テレビゲームとヒップホップミュージックで育った若者が、歳をとって、全然興味のなかった日本画に興味を持つようになるという保証もありません。世界のグローバル化の流れの中で日本画が世界に飛び出して、積極的に評価されているという話もあまり聞きません。村上隆のように日本画から飛び出して、現代美術作家として評価を博した作家はいますが。私が卒業した多摩美術大学の日本学科では日本画の公募展に出品する学生がほとんどいないそうです。私たちが学生の頃は数十人いました。もちろん、それを公募展の衰退ととらえて日本画の衰退でないということもできるでしょう。しかし、今まで日本画システムの屋台骨を支えてきた日展、院展、創画会などの公募展が衰退するという事は、日本画全体の地盤沈下に繋がります。
 その一方で、公募団体から離れて活躍している日本画家が増えている事も事実です。しかし、その人達の中で、自らを日本画家として位置づけている人がどのくらいいるでしょうか。ある日本画家は、自身の事を「たまたま日本画の材料と技法を使っている『画家』である。」と語っています。つまり、「日本画家というのは公募展に属して日本画壇で活躍している人達をさすのであって、自分は日本画家と呼ばれたくない。」確かに、アメリカ画やフランス画がないのと同じく、日本画家というカテゴリーが明治以降の作為の結果である以上、「自分は一人の画家である。」という観念をもつことはある意味自然な事だと思います。
 ならば、公募展の日本画家たちの足下が地盤沈下を起こし、そこに留まらない有能な若手日本画家たちが自らを日本画家としてとらえなくなったときに、いったい日本画はどこへゆくのでしょうか。私もこれからの若者が、日本画に拘泥する必要はないと思っています。それは、極論してしまえば、「日本人の精神性という意味不明の脚色によって彩られていた『ただの空虚な箱』」が壊れつつあるというだけのことなのです。それが、日本画の本質であり日本画の現状だと言っても過言ではないと言えます。
 しかし、日本画というカテゴリーが日本人によって明治の初期に作られ、その後、一世紀以上に渡って存在していた事もまた事実です。それぞれの時代に日本人のアイデンティティーを確保するために作られて、それが、機能していたとすると、その歴史を検証し、(研究者によってではなく、日本画家として)「誰もがその思想や運動に見向きもしなくなったとき、こつこつと『後片付け』をする人間」が必要なのです。その「後片付け」の丁寧さによって、その価値が決まるのであれば、もし、日本画が、その退潮期、さらには死期を迎えようとしているのだとすれば、私が担わなければならない仕事は、その『弔い役』をおいて他ならないのです。日本画が、それを自らの責務、使命として担う誰かを必要としているのであれば、喜んでその役割を担おうと思うのです。

はじめに

1、日本画とは?

2、材質・素材からのアプローチ

3、属性からのアプローチ

4、歴史からのアプローチ

5、システムからのアプローチ

6、日本画とは?/結論

7、現在の日本画の問題点

8、今後の日本画の展望

9、私にとっての日本画

おわりに

<参考文献>

新着情報 /作品 /略歴 /お知らせ /技法 / 紀行/対談 /草馬の絵 /作家紹介 /雑感 /遊び場 /夢工房 /掲示板 /ブログ /お便り /リンク /HOME