2010.6.9
(182cm×240cm)
昨年同じ樹に再チャレンジです。前回のものをもっと、自分なりに突き詰めたつもりですが、どうなったのか。自分ではわかりません。
渺渺展2010に出品しました。
(2010.6.8)
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宮城県亘理町称名寺にあるシイノキです。シイノキは「大地の怒り」だと僕は思っています。大地が怒って、それが樹という形で表れたのだと。
でも、この樹はそんな怒りであると同時に、品格を感じさせます。
昨年夏にスケッチに行って、やっと完成です。
(2009.7.23)
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今回の作品について、ある方からのご意見をいただきました。以下は、それへの返答も含めて、今回の反省分です。
1、僕は密かにシイノキは「怒りの樹」だと思っています。どこへ行ってどのシイノキを見ても、怒っています。まるで、地下から天上へ向けて、
その怒りを噴き出しているとでもいった風情です。そんな感じを出せればと思って描きました。
昨年の渺渺展2009でも、実は同じ「称名寺の椎」を描いたのですが、おとなしく優しい樹になってしまいましたので、
今回は、同じ樹で、そうではない怒りのシイノキの樹を描こうと思ったのです。
ある人から言われて、なるほどと思ったのは、
「伊東さんの絵は3メートルくらい離れると良くわからないのですが、50センチくらいまで近づいくと、その良さがわかる」
という指摘でした。
画面を遠距離から一望すると、ただの塊ですが、近づいて、画面の上を歩くように見てもらうと複雑に絡み合った肌の質感がうねり合う枝の表情と絡み合って地上から噴き出し、
天にむかって伸び上がって行く、そういう風に見てもらえればいいかなと思います。
(もちろん、観る側は自由に楽しんでもらえればいいのですが・・・。)
そういう意図で、全体を俯瞰させないで、画面に入り込んでもらうためには絵の余白の取り方に問題があったのかもしれません。
その辺は今後の課題かと思います。
2、また、装丁についてですが、あえてパネルにも張らず、額装もしないで、紙のまま見せるということにこだわったのは、
一つは、画面を西洋的な「タブロー」としてみせるのではなく、「平面のモノ」として見せたかったためです。(僕自身は「平面彫刻」と自称しています。)
単純化して言えば、「タブロー」が、画面に描かれた図像を画面を通して読み解くのだとすると、「平面彫刻」はそこにあるもの自体を見ているということだと思っています。
これは、別のいい方で言えば、タブローは精巧に複写された印刷物で代替できるのに対して、「平面彫刻」はあくまで本物の画面の表面でなければわからないもの。
ということになるかと思います。
ただし、タブローと言っても、絵画はすべて、本物の作品を見ないとその良さが十分にわからないので、必ずしもこういう割り切りはできないかと思いますが、
図版で見た印象と実物があまり大きく違わない作品と、図版と実物が全然違う作品もあります。つまり後者が僕の言う所の「平面彫刻」ということになります。
また、僕らが絵を描く時に、パネルに和紙を貼って、その上に絵の具を塗り、額装をして出品するということは自明になっていますが、
それに対しての疑義を申し上げたい。という気持ちもありました。明治期に西洋画が入ってくるまでは、日本にタブローという概念は存在しませんでした。
絵と言えば、襖や掛け軸もなど。それらは、絵であると同時に「モノ」でした。ある意味調度品の一部に絵が描かれていただけだったのです。
そういう、「モノ」として絵を捉えるという事は、日本画にとってはあたりまえのことだったのですが、それは芸術ではないという明治以降の近代化の流れの中で、
今の公募展はほとんど、90%くらいが「必額装」になっています。こういうことも日本画にいる僕自身が再考する必要があると思います。
そういう経緯で今回はあえていわゆる「まくり」の状態で発表いたしました。「人に見せるんだからそれなりの装丁が必要だろう。」という考えもわかりますが、
そういう見方も一旦かっこに入れてみてもらうこともたまにはいいのではないかと思います。
ただ、反省点としては、最初から「まくり」の状態で出品するなら、和紙ではなく、絹の様な布地に描いた方が良かったのかもしれません。
「しわ」が気になったとの意見はだいぶありましたので、それは謙虚に受け止めたいと思います。
でも、最終的にはそういうところ(しわ)が気になってしまう程度の絵だったというしかありません。次はそういう雑念をふっ飛ばす様な作品を描きたいと思います。
2010年6月20日 伊東正次