たまたま展も3年ごとにメンバーが入れ代わりながら15年続きました。
そしていよいよ全員での展覧会をやって、これですべてが完結します。
僕はちょうどまん中のグループだったので、自分達が終わってから7年。
展覧会に始めて参加してからだと9年目ということで、その間いろいろありました。
学校を卒業してから、公募展と距離をおきながら、それでもなんとか制作を続けてきました。
ずるずると制作を続けてきた日本画に見切りをつけて、違った表現(立体表現)を見いだしかけていた矢先に、
偶然、(必然?)たまたま展を紹介していただきました。
紹介していただきながら、生意気にも、条件をつけていました。
「立体作品でも良ければ参加させてほしい。」日本画の展覧会に立体を出品するというばかばかしい提案に、
返ってきた伊藤先生の答えは「それでいい。」というものでした。
伊藤先生を試そうとした僕自身の狭量な敵愾心は
見事に見透かされていたのでした。
その答えを聞いた時に、ふっと力が抜けたと言うか、逆に力が入ったと言うか、
僕の今までやってきたことに、ひとつ区切りをつけたいという心持ちになっていました。
そして、日本画を精算するつもりで、襖絵を描くことにしました。
結果的に言えば、決別するつもりが、逆に確認することになり、
今も日本画を描いています。
ただ、今でも、日本画という枠にはまって表現をするのではなく、
僕の描いたものが日本画なんだという気概のようなものはもっているようです。
ペンを使うのもそのせいです。もちろん、日本画に対抗しようとか、日本画にアンチテーゼを突き付けようとか、
そんな大それたつもりは毛頭ありません。
僕はペンを使って日本画を描きたい。できたものが、日本画かそうでないかは他の人が判断すればいいと思っています。
7月の展覧会、御覧いただければ幸いです。
研究会の様子
山の上ギャラリー(横浜)にて、2004.5.30
| ||
展覧会の会場に押しかけての研究会のようなもの。 | 伊藤先生。十大弟子を描くために坊主にしたそうです。 | |
| ||
小品を前に意見の交換です。 | ___ | 研究会というと大袈裟ですが、全員が集まっての顔合わせ会でした。 |
たまたま展は「玉」のついている人ばかりという意味もあるそうです。 たぶん。 |