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こわ〜い「感性」のお話

 2000/4/27

「良し悪し」と「好き嫌い」 Masatsugu Ito 2000/11/26 14:40 Date: Thu Apr 27 01:28:42 2000(4F美術準備室に寄稿した文章の中から抜粋)

 「感性」の話しがたけなわの今日この頃の美術準備室ですが、ちょうど今3年生の授業で、「(かっこいい)Tシャツをデザインする」の導入で感性の話をしていますので少し長くなりますが、そこからお話しします。

 まず、「かっこいい」という価値観は自分の中で、どういう風に作られているのでしょうか。例えば、「あの人かっこいいね」とか、「あの車かっこいいね」とかいった時に、「それは、どういう風にかっこいいの」と聞くと、「そんなのどうでもいいじゃん、好きなんだから。」という人がいます。彼は、ここで、「好き嫌い」の判断と「かっこいい、かっこ悪い(良い悪い)」の判断を混同しています。実は、この二つの価値基準は、心の全然別の働きなのです。一言で言えば、好き嫌いの判断は感情に、かっこいい、かっこ悪い(良い悪い)の判断は感性に基づいているのです。例えば、「私、まさくん好きなのよ。」と言われれば、「あっそう。」で話し終わってしまいますが、「私、まさくんかっこいいと思うのよ。」と言われれば、「えー、うっそう、だって、足短いし、足臭いしetc」と、話しは続きます。つまり、好きか嫌いかの感情は人それぞれの個別の問題であり、いいか悪いかの感性の問題は、みんなに共通の話題になりうるということです。実際、感性が鋭いか鈍いかの比較による優劣が決められるケースは多いのではないでしょうか。例えば、「だっさーい。」は感性が鈍いことを断罪する決めぜりふです。

 では、その感性による優劣が共通の話題になるとすれば、その優劣は、どのように判断するのでしょうか。多くは多数決で決めます。音楽でいえば、たくさんCDが売れた方が、いい音楽ということになります。「え、本当?納得できない」という人も大勢いるでしょう。それでは、ウタダヒカルの音楽が最高ということになってしまいます。(例えばです。)そうでないとすると、どうやってかっこいいかっこ悪い(善し悪し)を判断するのでしょうか。議論してみますか。でも、話し合って、両者とも反対意見を主張して優劣を決めることができないとするとどうしますか。

結論から言えば、経験や技術の裏付けをたくさん持っている人の意見が、多くの場合は尊重されるわけです。なぜなら、彼は経験によって、より感性を磨いているからです。ウタダヒカルしか聞いたことのない人がウタダヒカルをいいというのと、あるとあらゆるジャンルの音楽を聴いた末に、ウタダヒカルがいいという人の意見では、主張の説得力が違います。

つまり、感性とはそれぞれの個性とか、才能といって片付けられる問題ではなく、ましてや、好き嫌いの問題ではありません。経験の積み重ねによって獲得することのできる能力なのだということを學びます。

そういう意味では、感性は知性の働きによって磨かれ、知性は感性によって保証される、相互補完的な関係にあるという、ながさわさんの意見*1はそのとおりだと思います。

*1この項はながさわさんの発言を受けて書いた。

と、ここまでが、美術準備室に掲載したコメントですが、この話にも若干補足が必要です。

「結論から言えば、経験や技術の裏付けを持っている人の意見が、多くの場合は尊重されるわけです。なぜなら、彼は経験によって、より感性を磨いているからです。ウタダヒカルしか聞いたことのない人がウタダヒカルをいいというのと、あるとあらゆるジャンルの音楽を聴いた末に、ウタダヒカルがいいという人の意見では、主張の説得力が違います。」の部分ですが、これは、半分正しく、半分間違っています。

 その方面の感性を磨いた人が、必ず正しい判断をしているかというと、必ずしもそうとは限りません。ウタダしか聞いたことがなくて、ウタダがいいといっている人の判断が、豊かな経験の裏付けを持っている人の判断を超えることも多々あります。なぜでしょうか。それは、いくつか理由はあると思うのですが、一番大きな理由は、「感性を磨くことが、逆に感性を殺す場合があるから」です。

なぜなら、感じるとは、瞬間の心の動きであるために、それまで培って来た、感性の積み重ねを一瞬にして捨てる必要があります。そうしないと、心の中にそれまでに感じたさまざまな心の色が、新しく入って来た(感じた)色を変化させてしまうからです。感性を高めるために積み重ねなければいけないにも関わらず、感じるとは、それを、その瞬間に捨てて白紙の心を用意しなければいけないのです。ましてや、感性を磨くと証して、実は蘊蓄(うんちく)を溜め込んでいる場合もあって、まあ、これは論外ですが、その瞬間に素の自分になるというのは、存外大変なのではないでしょうか。

表現者はこれができるかそうでないかで、次の世界に行けるかどうかが決まってくる様です。

なかなか、行けそうで行けないこともある・・・。(ぼやき)