北地にある桜を観に言った後、古い看板にこちらにも桜の樹があることが書いてあったので、足を延ばした。
地図にしたがってどんどん進むと、いつしか砂利道になり、山の中へと入ってきてしまった。
いったん通り過ぎ引き返して、やっと見つけた桜は、一人ぽつんと山の中に立っていた。
碑文によると、そこには昔集落があったのだが、昭和の中頃に大雪で一帯が雪に埋まり、村人たちは、
意を決して里に降りたそうである。それまでそのあたりには田畑が広がっていて、
この桜も作況を占う桜だったとのこと。皆が降りた後、
回りに杉の植林をしたために、日当たりが悪くなり、
桜の命も危ぶまれていると書かれていた。
たしかに、主幹は途中から朽ちてしまい、枝もかろうじて何本か残っているような感じで、
花も、数えるほどにしか咲いていなかった。
ちょうどこの日は、蕭々と霧のような雨が降っていて、春にしては、寒い一日だったせいか
いっそううらさびしげに見え、一瞬
乳母捨て山が、連想されたそんな桜だった。
桜が、人の心をとらえる一因は、人の生活との関係が深いと言うことだろうか。
たしかに、かやの樹などあまり擬人化しにくいかもしれない。