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石田象童展

2003年6月17日〜6月22日
すどう美術館
石田象童

今回、石田さんの個展拝見させていただきました。石田さんとは亀山さんのお宅で初めて御会いいたしました。
その時は、書家が襖に書を書くから来ないかというお誘いをいただき、そのパフォーマンスを披露されていたのが石田さんでした。
その後何度かお会いしてお話させていただきましたが、
お人柄的にいえば、対立構造の緩和剤的位置付けというやくどころを演じていらっしゃるのが石田さんでした。
(だいたいが宴会の席上ですので、その他のシチュエーションでは存じ上げませんが。)

やや乱暴に申せば、作品もその対立構造の緩和剤的位置付けをになっているように感じました。
それは、絵画の抽象表現的な要素(造型性の追求が結果的に装飾にいたるような)と、
伝統的な書の世界(書くという行為、反復の意味)が交錯するところに、その面白さがあったように思います。

僕自身についていえば、僕の中にある何かが分裂したまま、作品の上でそれらが統合されないのが現状で、
そういった意味で、やはり先輩も同様の問題意識を抱えているのだという共感を強く感じました。
もちろん、石田さんは、その分裂の融合を模索しつつ、うまく着地点を見い出しているわけですが。

また、たまたま、隣の会場で個展をしていたのが、僕の多摩美術大学の後輩にあたる江口さんだったのですが
石田さんの作品と彼の作品は、ある意味対極にあったように思います。
これも、やや乱暴にくくれば、一方が歴史を背負い込んで格闘しているとすれば、
一方は歴史から遊離して今を楽しんでいるかのように見えます。
前者が地面に這いつくばって一歩一歩前進しているとすれば、
後者は重力から解放され、空中散歩を楽しんでいるとも言えたかも知れません。
たぶん、どちらにもいい面、悪い面があるのだろうと思いますが、
ただ、それぞれが、それぞれの生き方の中で、選びとった表現のあり方を模索しているという意味では
同じ地平に立っているというべきでしょうか。

石田さん内部での対立と融合、石田さんの作品と江口さんの作品の対立と融合。
二つの対立と融合が僕自身の内部でのそれらと共振していたようです。

余談ですが、会場に集まっている客層も完全に対極をなしていました。
片方は気難しそうで、こわそうなおじさんたち、片方はぼーっとした若い女の子達。
本当にこれは余談ですが...。

(伊東正次)

この作品がその融合を示していたように思います。

今回の書的な要素が一番はっきり出ている作品。行為、反復を感じさせます。

どの作品もタイトルを控えてくるのを忘れました。すみません

この作品は、集まっていた口の悪い人たちの間で話題になった作品です。
実は、作品はもうひとまわり外の部分があるのですが、まわりの抽象絵画の部分がいらないという意見が出て、
中の部分だけ写真にとってみました。
全体を写真におさめるのを忘れていて、この部分しか写真がありません。
でも、確かに、この部分だけとってみても、いいですね。

抽象絵画的な作品の代表的な作品。

これも同様です。

30号くらいの大作です。画面に模様のように見えるのが文字です。

小品もいいですね。一部、はりつけている木の部分が不評でしたが、僕は木の部分があっても良いと思います。
逆に、木にあわせたその他の表現があったのでは、と思いますが。

これも、小品。3号くらいです。

稲妻?

口の悪い方々に囲まれてまな板の鯉。

これも愛情の裏返し?

熱心に作品について語ります。

この方がご本人です。