枯れているのですが、すごく存在感があって、描くならこれしかないと直感しました。以下は巨樹紀行より抜粋。 「山の下に車をとめて山をずんずん登ると、20分くらい歩くと突然山門がありました。山の中に突然。今は車道があって、それでも、こんな山の中にお寺があるかと不安に思いながら登ったのですが、昔はもっと、すごいとこだったのかな・・・。ありました。山門には「日々是好日」と書いてあります。参道を登ると、なるほど、ぽっかりと、桃源郷が。桃の花が咲き。ツツジの木ががぽかりぽかりと。でも、お目当て松が見当たりません。境内で倒れた木をチェーンソーで解体するおじいさんに、松の木はどこか尋ねますが、「そんな木はないと」一蹴されました。この人知らないんじゃ、木はもうないだろうと思い一度下山しました。確かに、十年前の環境庁の調査では生体、不良となっています。でも、もう一度車で引き返してみると、「つぶら池」という看板が立っていました。松の名前は「つぶら松」たまたま、近くに山菜取りに来ていたおじさんに聞くと、やはり、このあたりに木はないということで、いったん、山を降り、でも、こういう時のための市役所に電話をしてみると、森林組合に電話してくれと、素っ気無い解答。森林組合に電話すると、わからない。もういちど、市役所の教育委員会に連絡すると、やっと、教えてくれました。「まだ、ある。」現存していると。場所を聞いて行ってみると、どう見ても、そんな入り口ないし。また、市役所に電話する。もう一度、行ってみる。なるほど、ありました。看板が。ぐちゃぐちゃに壊れた看板が。でも、看板はあるけど、入り口はありません。その小さい山の山頂にあると言うことですが、入り口がありません。道がなければ、作る迄よと。雑草をかき分けながら登ること10分。ありました。みつまたになっていて、うち2本は腐っています。枯死。一番細い一本だけ健在。こんなところに、一体誰が来れるかと。文句の1つもいいたくなるところですが、「日々是好日」。苦労して見つけた木はやはり格別。」
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