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「大英博物館所蔵フランス素描展」

2002年7月9日〜9月1日

国立西洋美術館

 今日、二つの展覧会を観てきました。一つは、「大英博物館所蔵フランス素描展」もう一つは「アフガニスタン悠久の歴史展」.

「大英博物館所蔵フランス素描展」を目的に上野に来たのですが、正直、この展覧会はあまりおもしろくありませんでした。もともと、ロココ時代のフランスの作家自体が貴族的で形式的、職人的であることが多いため、この展覧会も例にもれず、心踊らされるような作品に出会うことはできませんでした。

 したがって、この展覧会について書くことはあまりないのですが、これらを観て行くうちに、直感的につかみ取ったイメージがありましたので、それについて述べたいと思います。

 それは、これらロココ時代の作品たちがその根っこに装飾画という社会的な役割をになっていたように、20世紀に生れた抽象絵画も装飾という役割から逃れることはなかったということです。それは、ロココ絵画が当時の貴族たちの趣味に合わせて、彼らの住空間を飾ったように、抽象絵画が現代のオフイスや生活空間を埋めるために描かれたということです。現代のさまざまなバックボーン(民族、宗教、言語)の人々が一つの場を共有するにふさわしい、新しい絵画が必要とされたのです。それは、やはり、ロココ調の絵画や、印象派の絵画では、それら多様な文化環境を共有する絵画とはなりえなかったでしょう。つまるところ、抽象絵画は、その造型性を目的として発展した絵画という美術史的解釈よりも、現代社会が装飾としての壁にかける絵を求め、画家はそれに答えたというふうに捉えた方が自然なわけです。現在、美術の歴史を作家の個性に還元したがる傾向がありますが、実際は、そのときどきの社会の変化に応じて、あるいは、社会の要請に応じて変化してきたのが、美術史の実体です。その社会の要請と作家の表現が、一時期、乖離する時期があるのですが、それは、ゴッホやゴーギャンなどの後期印象派から象徴派、表現主義に賭けての流れと、そして、現代絵画です。社会の求めに応じないで、自ら描きたいものだけを描く。そこから、画家は売れなくても描き続けるのだという幻想が生れます。(といっても、それらの作家が社会から評価を受けるということそのものが、社会によって、美術史が造られてゆくわけなのですけど。)そのような時期は、美術の歴史の中でも、ほんの特異なケースにしか過ぎません。社会から離れて、美術が独りよがりな行為に耽っているあいだに、どんどん、それらから取り残されてゆきます。やや話はそれましたが、抽象絵画が成立してゆく上で、装飾絵画という視点ははずすことができない大きな要因になっていることはまちがいありません。

 そのような意味において、抽象表現主義の後継者の中で一番、彼らを理解していたのは、アンディー・ウォーホルです。彼は自ら工房の主催者として大量生産を目指しました。まさしく、近代以前の工房と同じシステムでした。彼が求めたのは究極の装飾絵画でした。依頼人の求めに応じて、彼らの望むものを提供していったのです。それに比べ、ジャスパー・ジョーンズは造型性を重視し過ぎました。さらに、その後の、ミニマル・アートの作家達は一方でこの流れを引き継ぎつつも、究極の造型性を目指したがために、破たんすることとなります。彼らが、自分達の仕事の要諦を装飾性と言い切ったならば、もっと、違った可能性が広がっていたかも知れません。それをしないままに、表現主義へと移行しようとしたところに、現代美術の不幸がありました。建て前としての造型性があだとなり、美術界の鬼ッ子となったのでした。そして、誰もその首に鈴をつけず、消化不良のまま、今を迎えているのです。その亡霊は今でも、あちらこちらに、その顔を覗かせています。

 もちろん、抽象表現主義は、デュシャンから始まる美術史上の観念主義への反動という側面もありました。デュシャン以降の作家達は好むと好まざると、それ以外の選択がなかったのでした。絵を描くためには。

 なぜなら、観念芸術の対極にあるのは装飾性だからです。したがって、絵を描くことを選んだ瞬間、観念から逃避するべく、装飾性を目指したのでした。ロスコが装飾的というと奇異に聞こえるかも知れませんが、ロスコが意図したのはその脳裏に染み込んでくるような物質感でした。つまるところ、イスラム寺院を壁面を前にして目の眩むような、あの快感とまさに同質のものです。また、ポロックがニューディール政策によるシケイロスの壁画工房でその才能を咲かせたこともまた、その証左といえるでしょう。壁画とはつまるところ装飾です。

 ロココ美術を観て、現代美術とは一見、話が飛躍するように聞こえますが、実は、西洋の美術の歴史は深いところで繋がっています。そこには、一貫して、通奏低音が鳴り響いています。前の歴史の意味を理解しないままに、今はあり得ません。その意味でも、この膨大なデッサンのコレクションの中に、現代へ至る装飾画の系譜を観たとしても、決して的外れとは言えないのではないでしょうか。

「アフガニスタン悠久の歴史展」

2002年7月16日〜9月16日

東京都芸術大学大学美術館

 次に、「アフガニスタン悠久の歴史展」を観ました。こちらの展覧会は、大変おもしろかったです。まず、一番心動かされた作品は、図録に名前が載っていないので、正確に分かりませんが、「荼毘に臥された母親」の塑像です。迷信を信じた父親によって堕胎され、そのためなくなってしまう母親。その母親が荼毘に臥されたとき、神がその子を母親の体内から取り出し、生き返らせるという、そんな感じの内容の作品でした。母親の顔も火によってか崩れかけていて、後ろには、炎が克明に幾何学的に表現されていて、その情景にしばし、目を話すことができませんでした。

 また、それ以外の塑像もいずれもおもしろいのですが、中でも、仏像からもぎ取られた仏頭(人間や動物もいる。)が鉄の棒の先にくっつけられて横に10個くらいが並べれらているのですが、その、それぞれに表情があって、それだけで、演劇の一場面を観ているようでした。仏像というと、なにやら有り難い仏様がいて、表情がみんな似通っているような気がしますが、実際、いろいろ観てみると、(特に、神様や天といった仏の周りにいる像たちは、)非常に人間臭い顔をしています。この、アフガニスタンで造られたそれらの顔も、同様に、喜怒哀楽の表情を浮かべていました。特に、顔だけが身体から分離して宙に浮いているので、そのことが余計に顔の表情をクローズアップしていたかもしれません。こういうのを観ていると、「個性なんて声高に叫ぶ必要ないなー。」と改めて思います。造った職人さんが、自ずと一人一人、個性を持っているように、彼らによって造られたそれらの像も同じく、個性を持っています。個性は表現するものではなく、筆の間から、のみの間から自然にこぼれ落ちてくるものではないでしょうか。

 ついでに言えば、この「個性を出さなきゃ芸術ではない」病は、近代とともに始まり、それは、西洋の時間が時間軸に沿って、一方方向に流れると言う幻想に育てられ、ついには、病的に追い詰められてゆくのです。常に新しいことをやらないと、自己同一性が保てないという幻想に追い捲くられ、いつしか、その幻想が破たんすることが分っていても、一度回りはじめた駒は、回り続けないと倒れるように、自身の終局に向かって、走り続けるのです。その輪廻を断ち切って、もう一度、日本や東洋や文明国以外の人々が育んできた時間の流れを取り戻し、そのことによって、描かれる(造られる)世界をより豊かに創造してゆくことが、重要なのだと思います。

 以前、テレビでREI KAWAKUBOを特集した番組をやっていましたが、彼女を見ていると、その軌跡は、まさしく、破滅へと向かっているようでした。誰も見たことのない、より過激なファッションを毎年、定期的に発表し続ける苦痛。破れた服、こぶのついた服。その病的な迄に、自らを駆り立て、前進しようとする一流デザイナーとしてのプライド。一度、「人間にとって一番のファッションは自前の肌のみ。と。一糸まとわぬ裸ファッションを演じさえすれば、少しは楽になるのだろうなと思いつつ、REIKAWAKUBOという人間に同情の念を禁じ得ませんでした。

 宇宙開発が人類の夢などと誰が言い出したのでしょうか。「誰も見たことのない世界を見る。誰もいったことのない世界を踏む。」そんなところに、いつ、誰の幸せがあったというのでしょうか。「だからどうした?」そんなことより、古来、人間が人間らしい生活の中で、営々と紡ぎ続けてきたその営みの一端に触れることができれば、人はより人らしく生きることができるし、芸術はより芸術らしく生きることができる。それが分かれば、芸術なんてたいしたことではないし、だからこそ、芸術活動の何たるか、迷うことなく、突き進むことができるのではないでしょうか。そんなことを感じさせてくれる、いい展覧会でした。